ピアサポ祭り「わたしの貧困体験〜結婚か?貧困か?自立か?」

先日のピアサポ祭りで女性と貧困ネットワークの一員として話したものです。


正確に話したことを起こしたものではないので、話した当初と内容が違う部分もあります。
厳しい貧困体験などを話せる人もいるのに、わたしが「貧困体験」についてしゃべってもいいんだろうか?と戸惑ったのを覚えています。
女性の貧困は隠れて見えません。
シングルマザーの貧困率のように、結婚しているうちは隠れていたものが、でてきたりします。
家族関係の中に納まって隠されているので、気が付きにくいと思います。
貧困を現在の生活や世帯の生活で考えるなら、貧困だと定義できないのが女性の貧困だと思います。
あらわれるときは離婚・DV・介護などの他のものと一緒にのはなっていることが多く、多くのアプローチでのかかわりが必要です。
女性と貧困ネットワークはそのように複雑化した貧困をさまざまなところと連携してつながっていこうと作られた団体です。
この貧困体験談で少しでも多くの方とつながるきっかけになればと思います。


女性と貧困ネットワークのナガノハルといいます。
今日は、私の貧困体験を話させていただきます。
よろしくお願いします。

わたしが自分が貧困だと気が付いたのは就職したときです。

はじめての仕事は印刷会社の「事務の女の子」。
小さな事務所での面接です。
面接官ははじめに言いました。
「うちの会社では「事務の女の子」には毎朝、全員分のお茶をいれてもらうから。最近の人はそういうの嫌うけど、うちの会社は業務のひとつとしてやってもらう。あなたできますか?」

面接にたくさん落ちていたわたしはすがりつくような気持ちでした。
にっこりとわらってはきはきとした様子で「はい」といいました。
面接対策ではとにかく「はきはき、明るく、にこやかに」と教えられたからです。

手取りは15万。

「週5日働けば自立できる」と当然のことのように思っていたので、さっそくアパートなどを探しに行きました。わたしの地域ではきれいワンルームが6万程です。わたしの収入だと憧れているようなフローリングの部屋に住むのはあきらめなくてはいけないことを知りました。
不動産屋に、「年収は?」ときかれ、「230万円ぐらいです」と答えると、「いや、手取りじゃなくて、総額だよ」と言われます。
「総額が230万円なんです」
「え?正社員でしょ?」
「はい。事務です。」
「だから、自分の手元に残るお金じゃないの。税金も含めて」
「だから、それが230万円です」
「ずいぶん、安いねぇ。正社員の年収じゃないよ。もっといいところあるんじゃないの?」


そういわれ、はじめて自分の年収が「安い」ということがわかりました。
結局、一人暮らしはやめて、お金を貯めようと思いました。


毎朝、業務の一環で部長にはドリップパックのコーヒー、課長にはお茶、係長には粉末状のカフェオレなどを分けていれました。
わたしがお茶を入れている間は朝のミーティングが行われていました。
「電話番とお茶だけいれてくれればいいから」といって部長は笑いました。
「楽な仕事でいいでしょ?」と課長も笑いました。
わたしは教育をうけて、自分にはもっといろいろなことができるんだと信じて社会に出てきたのですが、どんどん自信がなくなりました。


「目の前に座っているおばさんね、すっごいいじわるで有名だから、気をつけたほうがいいよ。それと、あのばばあ不倫してんだよ。」

ある上司は同じ課の同僚となった60代の事務の女性をについて、わたしに耳打ちします。
「そんなことないですよ。とっても、やさしく仕事教えてくれますよ」
わたしは心の底から思っていたことをいいます。
「ああ、それは、はじめだけ。みんないびられてやめたんだよ」
何でも知ってるんだぞという顔の上司。
上司はその人をさげすむのをやめませんでした。


ある日、上司が侮蔑する60代の女性がロッカールームでため息をつきました。

「はぁ、つかれちゃった。あなたも早く結婚したほうがいいわよ。わたしわね、結婚に失敗して、離婚しちゃってね。何の経験もないからひろってくれたこの会社にずっと勤めてるの。お給料もね、あなたとほとんどかわらないのよ。男の人はねちょっとぐらいは上がるけど、事務の女性はずーっとこのままだから。
わたし、あと2年で定年になるけど、年金もすごくすくなくて。でも、いいの。細々とやっていく。毎朝、好きな時間まで寝ていられるだけで幸せだもの。」


仕事を覚えれば、収入があがっていくのなら一人暮らしを目指してがんばれかもしれません。


しかし、およそ40年後の自分の姿を見たように思って暗い気持ちになりました。
「事務の女の子たち」は、みな、実家から会社に通い、「結婚したらやめる」「疲れたから専業主婦になりたい」といいました。


男女平等の教育をされたわたしは「わたしは結婚に興味ないんだ」と話をそらしました。

わたしはそんな暮らしの中で、自分は貧困なんだと思いました。
もっともっとすごい貧困の人、食べ物にも困る人もいるけれども。ただ、胸を張って「貧困です」といえるような貧困ではないような気がしました。

わたしがいままで貧困を感じなかったのは、家族が養ってくれたからです。
家族がいなくなって、一人になったわたしが生活するとしたら、息切れするような毎日なんだと怖くなりました。

それから、ずっと、わたしは「自立、自立、自立、自立・・・・」と唱え続けて怯えて生活していました。
スキルアップスキルアップスキルアップ・・・・・」と焦って疲れても休みませんでした。
「資格、資格、資格・・・」とうなされて、頭が痛くなりました。

そうやって、結婚か?貧困か?自立か?という選択肢しか見えなくなって、心が硬直しました。

もともと、こころのバランスが悪いので、すぐに鬱状態になりました。

このままではだめだと思い、無料の講演会やイベントなどに行きました。
その頃「反貧困」を掲げたイベントなどがよくありました。

そんな中で、女性と貧困ネットワークの人と会いました。
そこには「結婚か?貧困か?自立か?」以外の生き方をしている人しかいませんでした。
こんなにたくさんの種類の女の人を見たのは初めてでした。
わたしは、女の人にいろんな人がいることを本当にわかっていなかったのだと思います。

わたしは大人になってはじめて、友達ができました。
女性と貧困ネットワークを行ったり来たり、通り過ぎたりしている人と仲良くなりました。それまで、「専業主婦になりたい」という人としか友達になったことがなかったので、解放された気分でした。

わたしの貧困体験はものすごくインパクトのあるものではありません。
今なら「15万で、十分じゃないか?」と思ったりもします。
ただ、自分が貧乏な生活に耐えられないだけのわがままじゃないかと思ったりもします。

だから、こんな風に話すのはちょっと怖いです。
「そんなの貧困じゃない。もっと大変な人もいる」と言われそうで。

少しでも誰かにあの時の怖い気持ちや、苦しい気持ちが届くといいなと思ったので、
話させていただきました。

聴いていただいてありがとうございました。

文責:ナガノハル